私は子供の頃は城北地区に住んでいた。豊島区立目白小学校というところに越境入学し、定期券を持ってバス通学していた。学区域外の小学校に通っていた訳だ。当時の目白小学校は進学に有利とされ、私立中学・国立中学などの進学率が高いなどという理由で多くの生徒が遠方から通っていた。そんなわけで私立武蔵中学高校へと進学し、生活圏は目白・江古田・練馬といった方面で長い時期を過ごした。その当時江古田あたりは千川上水が一部残っていおり、桜並木があって春には桜の花が綺麗に咲くような場所であった。
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さて、高校生ともなるといろいろと背伸びをしていろいろなところに出没するようになる。アルコールも提供するようなスナック(?)喫茶店(?)のようなところにも行きつけの店ができた。その一つにとても印象深い店があった。「ストーク」といい西武池袋線東長崎駅近く、千川通り沿いにある小さな店でジャズがながれ、軽く食事ができ夜はアルコールも供されるようなところだ。17歳ぐらいから浪人時代も含め何年通ったであろうか・・。そこで知り合ったいろいろな職種の人との交流もとても楽しい思い出があるが、それはまたの機会のお話しとして、突然思い立ち(結構思いつき、突然が多いのですが・・)土曜の午後ぶらりと「ストーク」を訪ねてみた。西武池袋線の東長崎駅をおり、北口から住宅街を記憶をたどりながら10分程歩くとそこに昔の面影そのままの「ストーク」があった。駅からの途中の町並みは様変わりしており、近くにあった大手電機メーカーの僚も人が住んでおらず何となく寂しい感じがした。 店の周りを見回し、辺りの家並みが多少違ってはいたが、鮮魚店や小さな食品雑貨店も同じ場所で同じ顔(歳は取っていましたが)が商いしておりました。
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「ストーク」のドアを開けるとマスターが直ぐに私を判ったようで、すかさず東さん?と声を掛けてくれました。なんだか懐かしく胸が熱くなる思いがしました。30年ぶりぐらいでしょう・・・。 店の中は昔そのまま、グランドピアノがおいてあり木のぬくもりの感じられる椅子とテーブル、昔よく座っていたカウンターの椅子もそのままであった。昼時であったのでビールでランチを頂きながらカウンター越しにマスターと昔話に花が咲きました。
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体調を崩されていた奥様も途中から顔を見せ、他のお客さんもちらちらと気にしながらも懐かしい話で楽しいひとときを過ごしました。そこで知り合いになったいろいろな方々の消息を伺うと、有名な音楽大学の教授で要らしたかたは鬼籍に入られ、最後の紀尾井ホールでのリサイタルのCDなどを頂きました。 昔話に花が咲くようになったのは年をとった証拠でしょうか・・?時期を見てまた足を運びたいと思います。