イタリア
イタリアへ行ってきました。
昨年から愚息と一緒に仕事をするようになり時間に余裕ができたので、元気に動ける時に訪れてみたいと思ったところへ行こうと決め、昨年はスペイン バルセロナのサクラダファミリア、フィンランド ヘルシンキのアルバアールトの建築巡りと行って参りました。家族がイタリア行きを希望しましたのでイタリア行きが決まりました。イタリアは三十代の時に訪れた事があります。フランスからフィレンツェ、ローマへと列車で入り数日の滞在でした。今回は定番コースですが、ローマ、フィレンツェ、ミラノをメインとし、ピサ、ヴェネチアを訪れました。旅日記風になっても面白くないので、訪れた先々での印象をお話ししてみたいと思います。
ローマといえばやはり、コロッセオ、フォロロマーノですね。今回はガイドを頼み車で訪れました。早めの時間にフォロ・ロマーノに到着、チケット購入は並ぶ事なくすんなり?入る事ができるかとお思いましたが、チケット売り場で各人パスポート提出?確認してからチケットが手渡されると・・?なぜ手続きが面倒なのでしょう?と思いました。中に入り案内を受けながらフォロ・ロマーノの見学です。朝の早い時間であったのでさほど混雑しておらず、ゆっくりと見学できました。印象に残ったのはカエサルの火葬された場所です。紀元前44年3月15日にブルータスら14名によって暗殺され、18日に火葬されたそうです。そこには今でも花が供されているような所でした。NHKのブラタモリで放送されたのを覚えておりました。


さて、世界史が苦手であった私は漠然と皇帝の名前や時代は頭にあるものの詳細はきちんと記憶しておらず、ガイドの話をふむふむと聞いているばかりではありましたが古代遺跡の存在には感心せざるを得ませんでした。
当時のローマ帝国は民衆の不満を抑えるために進出して行った土地にコロッセオのような闘技場と浴場、劇場を整えて不満を吸収させていたというガイドの説明に納得ではありました。グラディエーターがコロッセオでライオンなどの猛獣や時にダチョウと戦うこともあったそうです。ダチョウならばラッキーということでしょうか?コロッセオは5万人超の観客が入れるそうで入り口に番号が付けられ、チケットに入口の番号が記されてあったようです。現代の我々が国立競技場に入るのと同じシステムですね。


さすがローマは古代遺跡のある観光地、世界中から観光客が訪れており、あちらこちらの名所では色々な国の言語が飛び交っておりました。スペイン広場での階段では自撮りをする観光客で溢れ、トレビの泉に至っては階段の上に規制線が張られ、泉の近く行くために人数制限が行われており、すぐ際まで行くことは諦めました。東京の浅草で中店通りを歩くのにラッシュアワーの駅を歩くのと同じような状況ですね、オーバーツーリズムの問題はどこでも同じですね。

夜の食事は基本的には遅い時間からのスタートのようでしたが子供がいるので早めの時間に済ませられるように色々と情報を仕入れ、ホテルから近いレストランで済ますことに致しました。ピザ、パスタはどこも美味しくいただく事ができました。ローマの滞在日程は2日ほどでしたので、著名な観光スポットを駆け足で巡っただけとなりました。




列車でフィレンツェに向かいました。イタリアの特急列車にはITALO(フェラーリ会長が立ち上げFIAT・Todsなどが出資運営 ジョルジェット・ジウジアーロの設計)とトレインタリアのFRECCIAROSSO(ピニンファリーナの設計)の二つの特急列車があります。ITALOに乗ってみた方のですが、今回の鉄道移動はFRECCIAROSSOです。ヨーロッパの特急列車の一等車はコンパートメントであったり向かい合わせの固定席であるのですが、今回も向かい合わせの固定席でありました。軽食と飲み物のサービスがあります。ローマ・フィレンツェ間は約1時間半、快適な列車旅でした。フィレンツでの移動は略徒歩で移動、小さな街です。ホテルはサンタマリア・ノヴェッラ教会の広場に面したホテルです。徒歩でヴェッキオ橋やウフィッチ美術館へもすぐのところでした。

孫には是非美術館で良いものを見てもらいたいと思い事前に予約しておりました。美術館はたくさんの部屋にテーマ別・時代別に展示されております。ボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」を美術に詳しいガイドさんの説明を受けながら見て回りました。果たして孫は記憶に残るのでしょうか・・。


街歩きは楽しく、時折観光客を乗せた馬車とすれ違います。興味深かったのは、さすが観光地、馬糞を回収する車が街中を走り掃除をし、道をきれいにして回っておりました。三十代の時に訪れたカフェの記憶は定かではありませんがヴェッキオ橋の近くもぶらぶらと散歩を楽しみました。フィレンツェといえば肉料理という事で昼も軽くパスタとお肉、夜は名物のビステッカをいただきました。Tボーンステーキですね。塩胡椒のシンプルな味付けですが、肉はとても美味しく、醤油と辛子があればさらに美味しくいただけたと思うのは日本人だからでしょうか?また、革製品が有名でありFerragamoの本店があります。本店にはMuseumがあり見学致しまし。マリリンモンローやオードリーヘップバーンの足形が展示されており、靴のデザインの歴史も見ることが出来ました。


宿泊先近くのサンタマリアノヴェーラ教会には世界最古の薬局があります。石けんやフレグランスなどもありちょっとお土産を買い求めました。こちらも観光客で一杯でありました。
さて、1日は日帰りでピサの斜塔見学です。車で約1時間半ほどです。天気に恵まれ晴天の中でのピサの斜塔見学となりました。斜塔は学齢前の孫がおり登ることが出来ませんでしたが大聖堂や洗礼堂も素晴らしいものでした。洗礼堂では声の反響が素晴らしくどの場所にいても荘厳な声が聞こえる音響効果は抜群でした。



ピサの半日観光も思い出深いものとなりました。
そろそろ旅も後半に移ります。フィレンツェからミラノへと向かいました。ミラノは商業都市で冬季オリンピック間近ということで、オリンピック関連の広告がちらほらと目にすることが多くありました。会場はコルティナダンペッツオと2ヶ所の会場で開かれるそうです。ミラノでは有名なサンタマリア・デッレ・グラツィエ修道院のレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」です。事前予約をして、ガイドさんの事前レクチャーもありとても素晴らしいものを目にすることが出来ました。修道院の食堂に描かれた壁画ということですが、実際に目にするととても迫力のあるものでした。

ミラノは市内をぶらぶらと街歩きすることが主たる目的で、スカラ座を見たり、ガレッリアを歩いたりでしたが、孫の為に市立自然史博物館にも参りました。恐竜の進化や世界の動物の剥製などがありとても見応えのあるものでした。



市内の移動はトラムに乗っての移動が楽で、一律料金でクレジットカードの決済で乗ることができとても便利であると思いました。時々無賃乗車をする輩がいるとのことで、市の職員が乗ってきて、クレジットカードの支払い履歴をチェックしておりました。ミラノスカラ座も興味深く見学することが出来ました。ガイドの方は東京音大出身の方で音楽にはとても詳しく、興味深い解説を聞くことが出来ました。オペラを楽しむことがある私としては、次回は是非興味深い演目がある時に訪れてみたいものだと思いました。





さて、交通機関の運行の影響で、ヴェネチア観光は今回の旅行の最終日前日になってしまいました。朝早いFreccerossaでヴェネチアへと向かいました。ヴェローナまでは高校生の修学旅行の団体の席に近いところとなり、騒々しい1時間ほどを過ごさなくてはならず、ちょっと閉口いたしました。世界遺産のヴェローナも友人から是非訪れてみると良いと勧められましたが今回は日程合わず断念いたしました。ロミオとジュリエットの舞台となった街で、ローマ時代から中世までの建造物が混在する街並みだそうです。



さて、ヴェネチアへ着く頃には雨も上がり、到着した途端に晴天となり、青空と海と街並みが素晴らしい光景が眼前に広がりました。もし雲天や雨であれば印象も違ったものになったでしょう。駅からはタクシー(水上ボート)での移動です。サンマルコ広場に到着し街中は徒歩での見学です。広場は潮の関係で水没することがあるようですが今回はそのようなこともなく、嵩上げするために置いてあるパッセーロも隅に積み上げられておりました。一部堀起こされたところがあり、下にはかなり古い地面(煉瓦造り)が露出しており、非常に珍しいものを目にするものができました。

街中は細い路地と小さな橋で繋がっており、迷路のようで、当たり前ですが住民はスイスイと迷わず進んで行くことができるようで、すれ違うのも気を使うような細い路の連続でありました。有名な「ため息橋」(監獄につながる橋で、その橋を渡るとなかなか戻っては来られないことからため息橋というそうです)も間近に見て、ベネチアングラスの工房も見学し駆け足のヴェネチア見学はお終いとなりました。天候に恵まれた為かもしれませんがヴェネチアの印象はとても良いものとなりました。夕刻の列車でミラノへと戻り最終日はお終い。翌朝早朝には東京へ戻る飛行機へ・・


今回のイタリア旅行、駆け足ではありましたが、私にイタリアの印象も変わり、次回は是非地方の田舎の都市に長期間滞在してみたいと思うようになりました。