週刊文春ネタでもうひとつ・・ 週刊文春に以前「お言葉ですが・・」というコーナーがあったのをご存じですか?1995年4月から2006年8月まで連載されておりました。とても洒脱な文章で読者はついつい引き込まれてしまうようなものでした。そのエッセイの著者「高島俊男」氏は私が高校時代漢文を教わった先生でありました・・。 歳をとってくると昔のことが懐かしく思い出されるのか、高校時代の同級性と最近連絡が多くなりました。そんな中で漢文の高島さん(我々の高校は変わっていて?先生はさん付けあるいはあだ名でした・・因みに数学Qさん、物理Pさん、英語横トン・・など 高島さんは漢文を担当され、当時はまだ東大の大学院在学中で非常勤で来られていたかと思います)の話題が出て来ました。それがこの「お言葉ですが・・」の話題でした。私の出た高校は旧制7年制高等学校の流れで武蔵中学校・高等学校と6年一貫の学校でありました。場所は江古田、武蔵野の面影がまだ沢山残っていた頃で校庭も緑多く、すすき川なる小川が校内を流れザリガニ釣りが出来るような学校でありました。 そこに高島さんが赴任されていた頃のことが「お言葉ですが・・」に書かれているのです。ずばり「武蔵にいた頃・・」「管弦楽組曲二番」そして武蔵関連で私の登場する「泣きの涙のお正月」という話がでてまいります。詳細はとてもおもしろい内容なので直接お読み下さい。文春文庫「芭蕉のガールフレンド」高島俊男著と文庫本になっております。宣伝マンみたいですね・・・ 高島さんは漢文の授業もそっちのけで一クラス授業をサボって校庭で野球をしてしまったとか、国語科教員室は大学の研究室のようで教師は自らの研究ばかりで教える内容も自分の研究テーマを勝手に授業しているというような事が書いてあります。そういえば文部省検定の教科書等殆ど使用したことが無く、物理、化学、数学などもガリ版刷りの英語のプリントの授業であったり、社会科は教師の専門の「関東軍」の話であったりとかそういう意味ではおもしろい授業を受けていたのだなと思いました。もちろん大学受験向けの授業などはこれっぽっちもありませんでしたが私がいた頃は東大に50から60人前後入学しておりました。1学年180人ほどですから大勢東大に入っていたのだと思います。受験勉強は自分たちでしていたのでしょうね。私は縁がありませんでしたが・・。 最近の武蔵は東大進学率は低迷しており一寸淋しい気もしますが、教育内容・方針等は変わらないようで、東大進学数だけが学校の質や内容を決めるものではないと思うのでそれはそれで質の高い教育を続けてくれればと思っております。 いまや何と私の同級生が校長であり他の同級生が理事などを勤めておりますから・・・。これからは東大だけではなく海外の大学へ直接進学できるような体制作りが重要になってくるのではと思います。グローバルな人材と人脈が大切な時代ではないでしょうか・・。 それにしても昔の懐かしいよき時代のことばかりが思い出されるのはそれだけ歳をとってきたためでしょうか・・。 もう少し前向きに何かに向かっていかないといけませんね。
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